リーダーとフォロワー。フォロワーシップ。
リーダーシップについてはさまざまな研究がなされているが未だ定義もバラバラであったり、研究者によって言い分が違ったりする。
一方で、これらの研究が「日本において適切か否か」もまた議論されるべき内容ではないかと思う。
閑話休題。
今回リーダーとはなんなのかについて個人的に考えてみた。そしてリーダーシップの育成は果たして価値を持つのかについても言及する。
今回のテーマは「フォロワーシップ」
(背景)
リーダーシップを持つ人間を見たことがないなあと思ったのが始まりである。リーダーとはリーダーという役職を持つ者がフォロワーを率いるという「システム」が今の現状ではないかと思った。では、真の意味で正しいリーダーの選出とは何か。フォロワーに支持された者がリーダーになるべきであると言えるのではないか。従って、リーダーが各所においてリーダーになるのではなく、各所でフォロワーに選ばれた者がリーダーになることこそ自然かつ適切ではないかと思う。
(日常事例)
例えばリーダーという者を立てずに何かしらの企画を行ったとしよう。非公式な組織でメンバーも気楽な状態でも構わない。その時、ある人物の意見や行動を軸に全体を進めようとするなんてことを経験したことはないだろうか。つまり、ヒトないし動物的に自然と導きを与える者を選出しようとする集団心理が働くのではないかというものだ。
(仮説)
フォロワーシップを持つ者を集める。リーダーという役目を立てないというルールでいいだろう。
一定期間ディスカッションないし企画に対して共に行動してもらう。
その後フォロワー各位に支持する人物を1人選出してもらう。
その時、ある特定の人物の投票ないし矢印の数が自然と集まってくるのではないかというものだ。
この結果としてはフォロワーシップしかないはずなのになぜか投票と矢印の集中化が起こっているという想定だ。
私が知らないだけでもう既に先行研究があるかもしれないが、やってみるとおもしろそうではある。